大いなる意思への不信感 の巻

 

今日は時間があるからもう1本書きます


自分が大いなる意思の中に生かされていると感じる瞬間ありますか?僕はあります。あの瞬間僕は大っ嫌いです。まるで自分が世界にとってちんけな存在に感じるからです。


分かりやすい例を最近感じた瞬間で例えてみます。ともっちにメタモンをあげた時の話です。
最初に念の為断りを入れておきますが、勿論ともっちは何も悪くありません。ただ、自分の感じ取り方の問題です。


俺があんまりバンギ欲しいバンギ欲しいっつうもんだから、ともっちがバンギあげるよって話になったのでバンギラスを貰えることになったのですが、ポケモンは交換は出来ても一方的な譲渡は出来ません。必ず交換をする必要があります。

さて何あげるか悩んでいたのですが、感謝の意味合いを込めて最も価値ある物を送る事にしました。超高個体値メタモンです。

 

そも、私は前にも言ったかもしれませんが真剣にポケモンでレート戦するつもりなんてさらっさら無かったのですが、1体だけ捕まえたメタモンがよりにもよって5Vだった為、「5Vメタモンだ!」となり、厳選をはじめました。
今にして思えばここも大いなる意思を感じる所ですね。

そして、ともっちとポケモンを交換する少し前(最も、少し前と言っても数時間前か数日前かもう覚えていませんがね)に、たまたま野良レイドに参加して捕まえたメタモンが6V(最強)のメタモンでした。流石にこの時は素直に「6Vメタモンだ!」と素直に喜んだものでしたが、今までずっと使ってきた5Vメタモンがお役御免になるのも少し寂しい気持ちでした。

折角大事に使ってきた5Vメタモン、どうせならもっと活躍させてあげたい。

そう思った私はバンギと交換で5Vメタモンを渡しました。

 

最初は、中々手に入らなかったバンギを手に入れられて嬉しい感情以外無かったのですが、寝床に着く前に落ち着いて振り返ってみると、自分が5Vメタモンを捕まえたのも、6Vメタモンを捕まえたのも、ともっちという男の手に高個体値メタモンが手に入るように大いなる意思、所謂神とかそこら辺が俺にメタモンを与えた気がしてきて、なんだか萎えて来ました。

 

これだとまだ、どうして俺が萎えたか分かりづらかったですかね?
では、もう少し分かりやすい例を出して見ましょう。

私は、(ゲームでもアニメでも映画でもなんでもいいですが)「主人公にたった一言の助言をする為に人生を生きてきたタイプのキャラ」がとてもとても嫌いです。

トランスフォーマーでもいませんでしたっけ、ほんのちょっとだけ些細な活躍をして、「これでいいんだ、私はこの瞬間の為だけに生きて来たのだ」と言って死んでいく老人。俺ああいうの見るとマジで悲しい気持ちになって嫌いですね。

たった一瞬の為だけに生きている人間なんて存在していいとは到底思えないんですよ、まだ分かり辛いかな、でももうこれ以上の例えは存在しません。

自分のして来た事が何かの為だったとか誰かの為だったとか言うのが嫌い…なのかな、それもまたちょっと違う気がしますが…。


ともっちの話を最初に例えに出したのが分かり辛い原因かもしれませんね、最初にも言いましたが別にともっちにメタモンが渡る事自体はなんら問題ないんですよ、案の定メタモンめっちゃ活用してくれてるみたいでそれも純粋に嬉しいですし。

 

ただ、偶然が出来すぎていると不快になるというか、何か自分よりも上位の存在が実在するような気がして不服になるんですよね。

自分たちが存在している宇宙が、実はめっちゃ発展してる世界の子供が夏休みの自由研究で作った小型のジオラマかなんかの中に存在しているのかもしれないって思った事ありませんか?誰だったかおんなじような事言っていたので誰しも一度は思った事あるんじゃないですか?

この妄想のオチはこうです、「例えそうだったとしても、気付きようがないので自分らがやるべき事するべき事は何も変わらない」。

 

結局、未だ妄想というか、中二病が抜けてないだけというべきか…でも、こういう事考えてるのって自分だけじゃないと思うんですよね、今回は自分の考えていることを出して見て、それに共感が貰えたら幸いです。