やがて君になる8巻感想 の巻

やがて君になるの8巻の感想です

全8巻ある内の8巻だけの感想というのも可笑しな話ですが、兎に角8巻の感想です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これ』に何と名前を付けよう————。

「許し」?誰から誰に対しての?違う。

 

 

 

 

8巻の内容はお話としては冒頭で終わっており、後の内容は別に書いても書かなくてもどっちでも良いものである。

私は漫画を読む時、表紙を見て裏表紙見て帯見てカバー下の表裏を見てそれから中を読み出す、といった順を踏むので、カバー下で小糸と七海の二人がお泊まり会を企てている事を知って「は!?作者にネタバレ喰らったんだが!?」とか訳分かんない事のた打ち回っていた。

ストーリーとしては冒頭で二人はめでたしめでたし

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ってな訳でこれにてやがて君になる完結!終わり!

…なんだけどもうちょっとだけ続くんじゃよ、って感じでもう少しだけ続く。今まで見てきた漫画アニメ作品の中で一番「まだだ、まだ終わらんよ!」ってやつだった。あれ、まだ終わんないの?

 

 

 

 

 

『これ』に何と名前を付けよう————。

「自己満足」?それもあるかもしれないけど、でもそれだけじゃないはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

(効果音 Who is That Pokemon?)

ジョジョ6部の主人公のスタンドの名前だーれだ?

ストレスフリー!

あぁ間違えた^^それを言うならストーンフリーだった^^

 

 

何が言いてえかっつうとやがて君になるという作品はストレスフリーな作品であった。

 

??「小糸さんと七海先輩って付き合ってるの?」

 

…厳密に言えば九分九厘ストレスの無い作品であった。

私は前々からさんざっぱら言っているように、フィクションの世界にストレスや不快感を与える存在を持ち込むべきではないと声を大にして主張している。人がフィクションの世界にのめり込むのは…まあなんだ、ドキドキ文芸部のとある一文を引用しようと思ったけど面倒臭いからやんないけど、ま簡単に言って現実に無いものを求めて人は物語の世界に魅力を見出すのであって、現実にいるような自身に不利益を齎すだけのような嫌な奴なんかがフィクションの世界に出てくると凄く興醒めするのである。この世で一番嫌いなキャラは映画「サマーウォーズ」の警官の氷動かしたバカ。あれを始めとして、ストーリーに動きを作る為に読者をイライラさせるだけの行動をする為に生まれてきた人物が私はクッソ嫌いである。

ただ、この主張には1個自分でも不可解な点があって、私は役立たずの代名詞とも言える、映画「プライベート・ライアン」のアパムが決して嫌いではないのだ。

警官のバカとアパム、同じゴミでも何が違うのか自分でも分からないので、一概に「このキャラはイライラするだけだから要らない!」と言い切れないのだが、今話したい事は、やがて君になるの登場人物は不必要な人物もいなければカタルシスを得る為の助走のように存在する苛々、胸糞?っといった具合の悪いシーンもないのが見てて優しいと思った、という話である。警官の戦犯クソアホとアパム、何が違うのかはまた別の記事で書く。嘘、多分書かない。

 

フィクションの世界にストレスを望まないのは私だけなのかもしれないと思っていた時期もあったが、所謂「なろう系」といった主人公無双作品が跋扈している現状を見るに、カタルシスを得る為のちょっとした助走ですら望まない層が一定数いる事が判明して少し安心した。

いや待てよ、あいつら復讐だの俺を見限った奴を見返してやるだのあーだのこーだの言う作品が最近流行ってるな?やっぱりその中でも私は相当ストレスに耐性がない方なのか?

 

 

お話をやがて君になるに戻そう。

8巻までそんなだった上に、冒頭でこの様相、そして残りページを考えるに、ここから一悶着があるとは考え辛い。ここから察するに、これはつまり…ボーナスステージじゃな?と私はかなり早い段階で感じた。実際のところそれは間違いではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これ』に何と名前を付けよう————。

「優しさ」?確かにそれはそうなのだが、そんな陳腐な言葉じゃこれは筆舌し切れない

 

 

 

 

 

 

 

ところで、なんで私が8巻だけの感想を書いているか聡明な俺様が書くブログ記事を読む聡明な読者の方々ならば薄々感づいているであろう。

 

そう、このバカ、感想記事一つ書くのに引用や比喩や具体例を逐一持ってこようとするのでまー書くのがおっそいおっそいww。

 

今感想を書く為に8巻を見返している現在でも、ボウリングの時の七海胸育ちすぎやろだの電車で別れるシーンの指キスクッソ好きだの佐伯にテストの成績抜かされた時の七海の顔クッソ好きだの、こんなん全8巻分逐一書いてたら日が暮れて朝になってまた日が暮れちまうよー^^ってな訳で、現在8巻だけの感想を書いている。先にやがて君になる全8巻分の感想を述べると、「人生で見てきた作品で暫定一番面白かった作品」である。ただこれは純粋な本編だけの評価では無くやがて君になるを読んで友達と感想を分かち合ったのがいっちゃん面白かったってのが一番の理由なのだが、いずれにせよ最も印象に残った作品であった。まあ感想を言いやすい作品ってのも評価されるべきポイントだし妥当な評価でしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これ』に何と名前を付けよう————。

「慈愛」?多分そうなのか?だが、それでは少し堅苦しい、そう『これ』はきっと—。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天才ブロガーpurtaroからセンスある読者の方々へのお詫び

先程、やがて君になる8巻の感想を書くと述べましたが、このまま書くとあまりにもpurtaroがクッソ気持ち悪くなるので、感想を大きく飛ばして最後の方の数ページの感想だけ書く事をお詫びします。

 

 

 

 

正直、まさか2人の濡れ場のシーンがあるとは思わなんだ。

いや、私も当然読んでる最中は何度も「速くキスの次の段階行っちまえよー」^^なんて言っていたりしたのだが、まさか本編で描写されるとは思わなかった。

え!?こんな所まで読んでいいんですか電撃コミックスさん!?って気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

『これ』に何と名前を付けよう————。

 

「許し」?誰から誰に対しての?違う。

 

「自己満足」?それもあるかもしれないけど、でもそれだけじゃないはず。

 

「優しさ」?確かにそれはそうなのだが、そんな陳腐な言葉じゃこれは筆舌し切れない

 

「慈愛」?多分そうなのか?だが、それでは少し堅苦しい、そう『これ』はきっと—。

 

 

 

 

『これ』は、きっと『救い』なのだ。

 

長嶋茂雄は引退時「私は今日引退を致しますが、我が巨人軍は永久に不滅です!」と言ってのけた。言うなれば、この最終回は作者からの「これでやがて君になるはおしまいですが、小糸×七海の中は永久に不滅です!」というメッセージのようなものである。作者は多分長嶋茂雄ファンだね、間違いない

冗談は置いといて、最初にも書いたけど8巻の内容は冒頭を除けば別に書いても書かなくても本当にどっちでも良いのである。

そも、最初の段階では、小糸と七海の2人の関係が、今後恋人として付き合っても破綻してもどちらでも良かったのだった。だが小糸がいつしか七海を好きになり、そして七海は小糸の変化を受け入れられるようになった段階で、もう勝ち確、いや勝ち確なのはもっと前からだったんだけどまあんなこたあなんでもよくって、俺が何が言いたいかってのはけものフレンズ1期、ケムリクサの監督として有名なたつき監督が全部言ってくれている。

 

「僕自身は、ハッピーエンドでも鬱でも、お話やキャラクターが旅した素直な結果であれば、全然それはもうどっちになっても良いと思っていますから。」

 


そう、やがて君になるの読者は、小糸と七海の歪な関係がどのような形で終わりを迎えるのかを見届ける為に読み進めて来たのだ。そして、それはお互いがお互いを好き、両思いであると気付き結ばれる、という形で決着を迎える。この時点でお話としては終わりで良いのだ。

だが、その後も2人の関係は続いていく。2人でデートもするし、キスより先もする。そして、最終回で2人のその後も関係が続いていく事が示唆されて本当にやがて君になるは終わりを迎える。

 

これらのシーンを態々書いたのは、(当然作者が描きたかっただけというのもあるだろうが)作品が最終回を迎えて悲しむ読者に対して、作者からの最後のサービスシーンというニュアンスと、この2人の関係が本編として描写されていないだけで、今後も続いていくというのが伝わる素晴らしいメッセージとして感じられた。今まで見て来た最終回の中でも最も好きな最終回だった。

 

再三言うが、お話としては終わっているのにも関わらず続きが見られるという構造に、私は救いを感じた。

先程、たつき監督の話になったが、けものフレンズ1期の最終回の話をしたいと思う。

あれはかばんちゃんが助かっても、或いは助からなくても、どちらでもお話としては成立するのだ。死は唯一にして絶対のセレナーデであり、死によって訪れる喪失感は読者に猛毒に近い衝撃を齎してくれる。私が最も好きなジョジョは7部なのだが、ジャイロとの別れ無くしてはここまで私の中であの作品に惹かれる事はなかっただろう。同じように、かばんちゃんも死んでも何の問題もない所か、死んだ方が面白いストーリーに出来る可能性すらあった。

では、何故かばんちゃんは助かったのか?

これは私の考えなので、正直同意を得られるかかなり怪しいのだが、かばんちゃんが助かった理由が人の善意だけでしかない、と私は考えている。

だってお話としては、かばんちゃんの生死はどちらでも成立するし、なんなら死んだ方が印象深く刻まれ、評価される可能性すらあった。恐らく、両方の可能性で構想を練った筈なのだが、最後に決めたのは作者が「まあ、生かしてあげないとサーバルちゃんが可哀想かな」とほんの僅かでも思ったようにしか感じられない。少なくとも私にとっては。

 

『これ』と同じなのだ。やがて君になるの終盤の内容は、2人の関係が確固たる物へと

変容して行き、その関係が続いていく事が示唆されるだけのページが続いていく。これにより、最終巻を読み終わった後の読者は「お話は終わっても小糸と七海はいつまでも一緒なんだぁ」と読破後の余韻に浸れるのだ。ここに私は人の善意を見出した。だから私はこれはきっと救いなのだと思う。

 

 

 

 

 

ついでに言及しておくと、私はやがて君になるのエンディング曲が凄く好きである。

作品を象徴する主題歌は間違いなくオープニングであり、それの美しさと不気味さ、というより不穏さ?が両立する歌と映像(下敷きで顔を隠したり、顔を仮面で隠し手を繋ぐ2人)でこの作品を表してくれているのは間違いない。

もっとはっきり言うとこのエンディングは作品に合ってないとまで言っても良いと思う。電波曲とでも言うべきか、作品に対して曲調が明るすぎるのだ。

だがそれでいい、それがいい。オープニングでしっとりして、本編でどのような展開を迎えても、エンディングが流れると視聴者の気持ちが明るくなる。1週間前向きにな気持ちで次の回が待てるようになる。私はここにも人の善意を見出した。これも作品が、音楽が持つ力に他ならない。

 

 

 

同じ事を何度も反芻する文が続き大変申し訳ない記事になってしまったが、私が取り敢えず伝えたい内容は優先して書けたはずだと思う。まだまだ佐伯の事、これからの百合作品の見方の事、二次創作の事、書きたい事は山ほどあるが、一旦はここで区切りとしたい。

 

 

 

 

おまけ 

4600文字も書いててわろける 

やっぱこの作品すげーわ