ブログは便所の落書きなのだ!ヘケッ! の巻

Twitterなんて便所の落書きなんだから何書いたっていいだろって思ってるpurtaroとTwitterも他の人が見れる以上モラルを持って行動するべきだと思ってるpurtaroで板挟みになってあああああああああああ

せんせえ、ちんぽって思ったらどこでちんぽって言えばいいんですか、
それはね、心の中で、自分の中でだけ思ってればいいんですよ
でもカロル君は言ってるじゃん、カロル君は誰も傷つけてないじゃん
確かに

 

関係ないけど闇の売人(2コス2/2)ってめっちゃ強いよね


purtaroプレゼンツ「こいつ天才か?」って思ったシーンで打線


1遊 purtaro「おいこいつら意思の疎通取れてないぞ!お前ボイスロイドか!?」
2二 Cueikusutaのブログを読んだ時
3右 undertaleの全てを遊び終わった時
4三 カロル君のbio「昼ごはんがハンバーグかと思ったらちんちんだった」を見た時
5一 ドキドキ文芸部の全てを遊び終わった時
6左 委員長がBLシーン自分の顔で隠した時
7中 初めてmegalovania聞いた時
8捕 緑仙の鳳仙花聞いた時
9投 木曽あずきが3Dお披露目配信で流した暗い地味なでもいいBGMの曲名が「悠々」だと知った時


自分の評価が高すぎる

けいおんのED曲の歌詞で、

大事なのは自分かわいがること
自分を愛さなきゃ他人も愛せない

というフレーズがありましたが、私はこの曲を聴いて以来、今まで低く見ていた自己評価を高く見るようにしました。
この歌詞を純粋に受け取ったからというのが一つと、この歌詞を見て以来、自己肯定感に対する考えが、
「自分以外誰も自分の事を甘やかしてくれない(他人の評価が自分に厳しい気がする)から、せめて自分だけは自分の事を甘やかそう」という発想に至りました。
だから、私は自分にだけは無茶苦茶に甘いです。最も、他人にもそこまで厳しくしているつもりはないので、そこは然程自分では問題と思っていないのですが…。

兎も角、自分自身を異様なまでに評価が高い経緯としては、このようなことがあった訳です。単に、けいおんのEDの影響ってだけの話ですが…。

ちなみに、僕はけいおんの曲は「思い出なんていらないよ〜」ってやつが一番好きです。

今日はもう少し自分語りをしましょうか。

自分は自分の事をあまり優秀な人間とは思っていないのですが、だからといって自分の事を嫌いとは思えないのです。だって、人間の優劣によって判断されるものじゃないでしょう、好感度とかそういったものって。
ましてや、この莫大な人間がいる世界において、自分「だけ」が代わりの効かない存在なわけですから、自分を蔑ろに出来る人間の方が私は理解に苦しみますね。

勿論、厳密に言えば他の全ての人間も代わりなんて効かないのですが…、取り分け、自分はそうでしょう、という事を言いたかった訳ですね、ここでは。


皆さん、妥協はしていますか?
職業に対して、学業に対して、人生に対して、ありとあらゆる事に対してです。

妥協という「カード」は、最もパワーのあるカードだと思っています、僕は。
「納得」は全てにおいて優先されるとSBRのジャイロも言っていましたが、裏を返せば「納得」さえ出来ればどんな理不尽な境遇でも認められるといったことになりますよね、まあ「納得」出来ているという時点で理不尽ということはないのですが。

自分の置かれている境遇に「妥協」して、それに「納得」する。
諦めにも近いですが、それで自身を納得させられるならそれに越したことはありませんよね。

ここで私が言いたいことは、なるべく妥協しない方がいい、というこの一点です。

確かに妥協は素晴らしい、諦めて、ぶん投げて、満足して、落ち着く。何事も妥協が一番。
ですが、妥協はいつでも出来ます。
ダメだったら妥協すればいいのです。
ダメでいいから一回やってみましょうよ、何事も。
始めることに遅すぎるという言葉は正直、本当かどうか怪しい所ではありますが、諦めるということに遅すぎるということはないと思いますよ、本当に。

何事も、やってみる。そして、ダメだったらやめたらいい。

まああんまり無茶だったらやる前からやんなくていいと思いますけどね、大体。

助言とか、名言とかいうものは難しいんですよ、全く、なんせ聞き手の置かれている立場によってなんて言葉を投げかければ正しいかってのは違うんですから。

はっきり言って悩み相談なんてするだけ無駄ですよ…いい答えが返って来るか期待している人にとってはね。話すという一連の行為自体には意義がありますが。

 

私の深層心理の根本の中に、「どうでもいい」という感情がある気がします。
白でも黒でもどっちでもいいんですよそんなの。
もう何もかも疲れた。

答えも真理も真実も存在しない世界で只々揺蕩うクラゲのように生きている気がします。

この文章を書く事に、或いは読む事に意味があってもなくってももうどっちだっていい。
俺は唯、退屈で退屈で暇だからやってるだけだ。
自分の文章で誰かの心が動かす、動かせる、動かせたと思ったことなど一度もない。

ほら、もう少しで休憩時間も終わる…